A short story

乙女たちの社

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 そこには、不思議な静寂さがある。元宮に向かってなだらかに登っていく坂道を歩きながら、いつも、この雑木林の中の参道に来るとそんな静けさを感じる・・・と、由布子は思った。
 この神社の本殿は、この地域の交通の大動脈である国道に隣接している。境内を囲む木立のすぐ外側を途切れなく行き交う車。その騒音が煩わしく感じるほどだ。
 しかし、本殿の一の鳥居と道路を挟んで向かい合う鳥居をくぐり、本殿が現在の地に移されるまでの社跡へと続く参道に足を踏み入れると、驚くほど急速に騒音が消えていく。
 それは、壁で音を遮断するという人工的な遮音とは異なり、雑木林の木々が騒音を吸収しているという感じなのだ。一歩進むにしたがって、明らかに車の騒音が遠のいていく。ふと気づけば、木々の梢が風に揺れる音や鳥の鳴き声に体ごと包まれている自分に気づく。
 ここ、氷上姉子神社の元宮へと続く雑木林には、どこか他所とは違う雰囲気がある。由布子は、そう感じるのは私だけではないだろうと思いつつ麻子に言った。
「いい森・・・だよね。23号線沿いに、こんな静かな場所があるなんて思いもしなかった。ちょっと不思議なくらい。ここを教えてもらって本当に良かった。」
「でしょ?私のとっておきのパワースポットなんだから。」
麻子は二度、三度小さく頷きながらそう言って、並んで歩く由布子の横顔をそっと眺めた。
「でも、由布子、こちらに戻ってきてから随分と落ち着いたよね。あの頃は、周囲の光景や雰囲気に目を向けるどころか、とにかく内に内に、過去へ過去へと自分を閉じ込めようとしているみたいだったから。最初ここに来たときには、周囲の景色に目を向けようともしていなかったもの。」
 無理も無い。何をしていても心ここにあらずといった、その頃の由布子の状態を思い出しながら、麻子はそう思った。夫を突然亡くすという経験は、私の方がちょっと先輩だからこそわかる。突然夫を亡くした衝撃と、その後やってくる寂寥感。。

 半年ほど前、由布子は故郷である名古屋に戻ってきた。東北を襲ったあの地震と津波から2年が過ぎてからだ。夫の貴之は、消防団の一員として住民の避難を手助けしていて津波に飲み込まれた。遺体が見つかったのは、地震発生から1週間後だった。浜から50mほどの海中で、乗っていた軽トラックの中にいるのを発見された。
 由布子と貴之、そして麻子も同じ名古屋の大学の同窓生だ。在学中、仲の良い仲間たちとサークルの活動などを行ううちに由布子と貴之は惹かれ合い、つき合い始めた。卒業後は、3人とも名古屋市内の会社に就職した。
数年の後、貴之が宮城県の海辺の町にある実家の家業を継ぐことになるのをきっかけに、二人は結婚して貴之の実家に入った。穏やかな海辺の町での夫婦生活は5年余り続いた。あの、3月11日がやってくるまでは。

 その日の午後、2回目の誕生日を過ぎたばかりの一貴と共に家にいた由布子は、激しい揺れの間、一貴を抱きかかえてダイニングのテーブルの下で揺れに耐えた。揺れがおさまっても、泣きじゃくる一貴を抱いたまま床にうずくまって動けないでいた。
「大丈夫か!」
何分過ぎたのだろうか。貴之が歪んで開かなくなった居間のガラス戸を蹴倒して家に入ってきて叫んだ。その声でハッと我に返った由布子が
「ここ。一貴もここにいる!」
そう叫ぶと、貴之は、散乱した食器などの破片の中にテーブルを除けて、うずくまったままの由布子を腕の中の一貴ごと抱きかかえて立たせた。そして、由布子と一貴を両手で覆うように強く抱きしめた。いつしか、一貴は泣き止んでいた。代わりに、由布子の目から涙が溢れた。恐怖と安堵が入り混じった涙だったかもしれない。
「津波が来る。逃げるぞ。」 
貴之はそう言うと、必要最小限の物をリュックに詰めて、由布子を右手で抱きかかえるように外に出た。
 そして、自宅から車で数分の距離にある家業の会社から貴之が乗ってきた軽トラックで、多くの人が避難している高台の広場の近くまで来ると由布子と一貴を車から降ろし、消防団の活動に行くと言った。
「なんせ年寄りが多いからな。大丈夫だって!津波が来たら、全速力で由布子と一貴のところに逃げてくるから」  
 不安げに貴之を見つめる由布子にそう言って、貴之は笑顔を見せた。行かないで、そう叫びたい衝動はあったが、ついに由布子はそれを口にできないままに貴之が運転する軽トラが高台から下っていくのを見送った。

 二人は、ちょっとした広場のようになった空間の奥に鎮座する元宮に並んで参拝した後、その小さな祠のような元宮の右隣に設えられた石碑の前に立った。その石碑には、“宮簀媛命 (みやずひめのみこと)宅跡”と刻まれている。
「私ね・・・何故、麻子がウォーキングで何度もここに私を誘ったのか、今はわかっているつもり」
そう言った由布子を、麻子は小刻みな小さな頷きと共に見つめた。
「何度か麻子にここに連れて来られる間に、宮簀媛命と日本武尊(やまとたけるのみこと)のことを私なりに調べたんだよね。」
 由布子は、この神社について自分で調べたことを語った。神代の時代、尾張国造だった乎止与命(おとよのみこと)の娘であった宮簀媛命は、父である天皇の命で東征からの帰路であった日本武尊と結ばれた。二人は、しばらくここで穏やかに暮らしたが、日本武尊が荒ぶる神の討伐に伊吹山へ出立する際に草薙の剣を宮簀媛命に託したこと。そして、伊吹山の神との戦いで病を得た日本武尊は、宮簀媛命の元には戻らず伊勢へ向かい落命したことなどを。
「よく調べたね。そこまで知れば、私たちにとってこの神社がどんな意味を持つのか・・・もうわかるわよね。」
麻子は、まだ石碑を見つめ続けている由布子の横顔を眺めながらそう言った。


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 津波で亡くしたのは、夫の貴之だけではなかった。貴之の両親も会社から高台に避難する途中に津波に飲まれた。社員を早々に避難させたが、何十年と夫婦で守り続けた会社から去り難い気持ちが逃げるのを遅らせたのかもしれない。夫と舅、姑を一度になくした嫁として、仮設住宅で一貴と二人で暮らしながら三人の三回忌をつとめた。
 地震の後、ともすれば生きる意欲を失ってしまうのではないかと思われもする由布子の様子を見かねていた麻子は、三回忌を終えたのを機に由布子の両親とも相談し、麻子の暮らしているマンションの近くに麻子が暮らせるアパートを借りて、そこで由布子が一貴と暮らせるように手配した。結婚前は、経理関係の仕事をしていた由布子の職歴と被災者であることを考慮してもらい、麻子が勤めている会社で由布子をパートで雇ってもらうこともできた。
 由布子の仕事振りは、経理課でも評判が良かった。麻子の目にも仕事をしている時の由布子の姿に心配が無いように映った。
 問題は、夜や休日だった。ともすれば、もの思いに沈んでしまうことがあり、まだ幼い一貴の世話も疎かになりがちになったりした。そのため、由布子の実家の両親が一貴を預かって保育園の送り迎えや食事の世話をすることもあったりした。
「こちらに戻った頃は、夜、一貴の寝顔を見ていたりする時にふと考えちゃったりしたんだよね。なんで、貴之を止めなかったのかとか、『行かないで』って言うべきじゃなかったのかってね。そうすれば、一貴は、お父さんを失わずに済んだんじゃないかって・・・」
そう言って、由布子はペットボトルのミネラルウォーターを一口飲んだ。
 二人は、元宮から少し下った参道の両側の木の切り株に腰を下ろしていた。下る方向に向かって右側の切り株が麻子の席。左の切り株にはいつも由布子が座る。二人は、いつも元宮を参拝後にその切り株に座って話しをした。参道といっても狭い小径だ。左右の切り株は、お互いの表情や身振りを見るにはちょうど良い空間をもたらしている。
「私だって考えたわよ。仕事が原因だという遺書があったとはいえ、突然旦那が自殺しちゃったんだもん。なぜ私は、夫が悩んでいることに気付かなかったのかとか、私にできることはなかったのかとか・・・。そりゃもう、何回も何回も考えたわ」
 そう言いながら麻子は由布子が一貴と一緒に貴之の後を追おうなんて考えないかと一時はかなり心配していたことを思い出した。だから、由布子の両親に度々一貴を預かってももらうよう仕向けたのだ。由布子が一貴だけをこの世に残してしまうことは、よもやあるまいと考えてのことだ。
「そうだったね。三年前は、麻子のために何をしてあげたらいいのかって貴之ともよく話したわ。」
「麻子、何度も来てくれたよね。まだ小さかった一貴を宮城に残してね。子供がいない私を気遣ってくれているってわかってはいたけど、当時はそんな気配りさえも、むしろ心に刺さったりするほど心が弱ってた。でも、麻子が一緒にいてくれたことで本当に助けられたんだよ。」
「私ね・・・何をしたらいいのか、私に何ができるのかなんてわかんなくて。そんな私に貴之が『何かしようなんて思わなくていいから。一緒に泣いて、腹が減ったら一緒に食べて、面白いことがあったら一緒に笑って。そんなでいいから麻子の側にいてやれ』って、私の背中を押すように送り出してくれたんだよね。」
「いい奴だね。貴之は。万年いい奴だ。」
麻子が笑い混じりにそう言うと、由布子もその笑いにつられて笑いながら、
「いい奴なんだよ。とにかくいい奴」
そう言いながら、だから消防団で老人たちの避難を手助けしていて命を落とすようなことに・・・と、そう思うと、口元には笑みが残っているものの涙腺が疼いた。
「だからね、止められはしなかったのよ。貴之は。どんなに止めても行ったはずだから。でしょ?」
「うん。行ったと思う。なにしろいい奴だから。馬鹿がつくくらいに。」
由布子がそう言うと、麻子が馬鹿いい奴か、そう呟き、また二人で静かに笑い合った。
「きっと、貴之、私たちの会話に交じりたくてウズウズしてるよね。サークルの時に私と由布子が話しこんでいると『朝夕(麻夕)会議か。お題はなんだ?』って、よく割り込んできたよね」
「そうだった。そうだった。私、貴之とつき合うまでは、あれがちょっと鬱陶しかったのよね。麻子と話すことがあるのに邪魔するなよって思って。」
「そうだったんだぁ。私はちょっと嬉しかったりしたけどな。なんせ、貴之に惚れたのは由布子より私の方が先だったからね。貴之をあなたにお譲りしたんだから。」麻子は、そう言って胸を張るような仕草で由布子に笑いかけた。
「えー、私は、麻子に貴之を譲ってもらったの?」
「まぁ、私が告る前に、貴之から由布子とつき合いたいんだけど、どうしたらいいかって相談されて・・・ジ・エンドよ。それでも立ち直るのに結構かかったのよ。こう見えても心は乙女だからね。相手が由布子以外の女だったら、その女とは一生喋らなかったと思う。たぶんね。」
「そんなこと言いながら、麻子、結構早くに結婚しちゃったよね。麻子の結婚式で熱田神宮での結婚式を初めて経験したんだけど、それを貴之が気に入ちゃって、私たちも熱田神宮で式を挙げることになったんだし。」
「結婚だけは、あなたたちの後塵を拝するわけにはいかないって心に決めていたんだから。せめてもの意地よ。」
 そう言って麻子がさも愉快そうに笑い。由布子も一緒に笑った。
「それにしても、運命よね。日本武尊が死んだ後、宮簀媛命がこの場所で草薙の剣を護っていたのを、あらためて祀ったのが熱田神宮の起こりなんだから。私たち、熱田神宮で式を挙げた時から、すでにこの神社とつながっていたんじゃないかと思えて・・・。」
由布子は真顔でそう言った。
「この神社のことを調べていて、そこまで思い至ったら、改めて思ったの。私は、貴之から草薙の剣以上の宝を託されているってことに。」
「一貴!」
 わが意を得たりと言わんばかりに、切り株に座ったまま身を乗り出して麻子が言った。由布子は、自分が期待した答えにたどり着いてくれた。そう麻子は思った。嬉しいと同時にもう話してもいい、そう麻子は思った。
「何度も歩きに来ているうちに、この神社の由縁を知ったのね。由布子にも知ってほしいと思ってはみたけど、私が説明したんじゃ御利益がないかもって思ったの。だから、何度かここに由布子を連れ出して、由布子が自発的に調べるのを待つことにしたの。人に言われてではなく、自分の意思で行動してこそ、大切なことを見失わないで済むって思ったから。」
「うん。まだまだだけど、おかげで一歩自分の足で前進できたような気がしてるの。」
その由布子の言葉に手応えを感じつつ麻子は聞いた。
「じゃ、由布子、この氷上姉子神社って名前の姉子ってどんな意味か知ってる?」
「うん。夫を亡くした乙女って意味でしょ?」
「よくできました。どう?まさに私たちのことでしょ。」
「乙女ねぇ・・・。」
「乙女じゃない!」
そう言い合って笑っている時だった。由布子の携帯電話の着信音が鳴り、その電話に出た由布子が小声で相手が貴之の従兄弟からであることを麻子に告げて、相手との会話に入った。はい、はい、と相手の話しを聞いていた由布子の目が“えっ!”という声と共に見開かれ、やがてその目から涙がこぼれ落ちた。
「どうもありがとうございました。」
震える声を絞り出すようにして由布子が電話を切るやいなや、
「何かあった?」
そう聞く麻子に由布子は、指で涙を拭いながら話し始めた。
「実はね。うちの近くの仮設住宅に住んでいたお年寄りが亡くなってね。そのお年寄りの遺品の中から貴之の手帳が見つかったんだって。どういう経緯でそのお年寄りが貴之の手帳を持っていらっしゃったのはわかんないらしいんだけど・・・社名の入った手帳だから特定できたらしいのね。」
それで?と、麻子は話しの続きを促した。
「手帳の中の見開き2ページに渡って走り書きが残されていたって。ひら仮名ばかりで“ゆうこ かずたか たのむ”って。津波に飲まれる直前に書いたのか、流され始めた瞬間に書いたのか・・・。とにかく、貴之は死ぬかもしれないと思った瞬間、間違いなく私と一貴のことを思い浮かべていてくれていて・・・」
そこまで言うと、あとはもう言葉が嗚咽になってしまった。麻子は立ち上がって切り株に座って顔を覆っている由布子を後ろから抱きしめるようにして一緒に泣いた。
数分間、そのまま二人で泣いた。やがて、どちらからともなく ハァ~ と大きなため息が。麻子は、涙をフェイスタオルで拭いながら言った。
「ほら、やっぱり貴之が割り込んできたよ。私たち乙女の朝夕会議に。」
ホントだねと、由布子も鼻声で言った。
 唐突に風が吹いた。元宮の森の木々をザワザワと鳴らして吹き抜けていったその風、長かった今年の夏の余韻がようやく失せ、秋の気配が色濃く感じられる風だった。

 読者はお気づきだろうか?この氷上姉子神社が在る地を舞台にした日本武尊と宮簀媛命の物語には大きな謎が残されていることを。病身の日本武尊は、なぜ宮簀媛命の元に戻らず、伊勢へと向かったのか。筆者にも一応の見解はある。だが、ここでそれを語るのは控えておく。この物語に登場した二人の乙女、あるいは別の乙女が導き出してくれるであろう真相を待ちたいと思う。
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